淡路島(現在の兵庫県洲本市五色町)の農民の子として生まれる。寛政7年には庄内で1,700石積の辰悦丸を建造し本格的に廻船業を興し、蝦夷地経営へ乗り出す。幕命により択捉航路を開き「函館」の北洋漁業の基を築いた功労者である。文化3年函館の大火で街の大半を焼失したとき、市内の井戸掘や道路の改修、開墾・植林等も自己資金で行なうなど、函館の基盤整備事業を実施した。文化9年幕府によるロシア船ディアナ号艦長ヴァーシリー・ゴローニン幽囚の報復として、嘉兵衛は国後島で副艦長のリコルドにより捕えられた。ディアナ号でカムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行されるが、翌年帰国。帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無い事を納得させ、人質解放に尽力した。つまり嘉兵衛は日本だけでなくロシアまで動かすそれはそれは凄い起業家だったのです。 |