永久保存には、二つの大きな理由があります。一つは明治37,8年の日露戦争のとき、日本海軍の連合艦隊の旗艦としての活躍です。明治37年(1904年)の黄海会戦でロシア大平洋艦隊の主力を撃破、翌38年5月27日の対馬沖の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊と戦い世界の海戦史上例を見ない大勝利を得ました。次に時代は大正に入ります。大正10年(1921年)ワシントン軍縮会議が米・英・仏・伊そして日本の五カ国で持たれました。三笠は米国側軍縮案では廃棄艦リストに入っていました。日本側はこの名誉ある戦艦三笠を何とかして記念艦として永久保存したく、米英代表の提督に交渉しました。何とまっ先に賛成してくれたのが米国の提督。救国の記念艦ヴィクトリー号を持つ英提督も続いて賛成。二大海軍国の賛成に仏・伊も否応なく賛成。満場一致の除外決議が出ました。
強調しておきたいのは、三笠の永久保存は、ワシントンの国際会議の場で公認されたことです。こうして安住の地と決まったのが横須賀市稲岡町の海岸-現在地-。大正15年11月に三笠記念保存式が挙行されました。
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